最終学歴「中卒」のド底辺がパソコン1つで起業し、コンサルタントとして月商470万円稼げるようになった「理由」と「経緯」。

 

初めまして!このブログ管理人の早川と申します。

 

出身・在住ともに福岡で、今の主な活動は、

 

・人もお金も集まるキャッチコピーの構築と改善のお手伝い
・オンラインメディアの運営
・WEBマーケティングの個別コンサルティング(個人&法人)
・売れる商品やサービス構築&設計のお手伝い
・参加条件ありの少人数制ビジネスコミュニティ主催
・ひとり起業家の強みを発掘し、総合的なプロデュース
・毎月数十万単位でWEB広告運用

 

などなど・・という感じで、
主にコーチ・コンサル系ひとり起業家の方の、

・商品やサービス
・マーケティング(売り方)

の構築と改善を手伝っており、そこから

・売上アップ
・集客の加速

に繋げてもらうことを得意としている20代の男です。

 

ブログ・SNSの更新0で月商470万円達成したり、
講座の販売初日にメール1通で300万売ったり、
個別コンサルで日収100万円を達成してきました。

 

 

普段の生活やライフスタイルに関しては、

 

昔からの友達とよく遊んだり、

起業家・経営者仲間や友人と
おいしいご飯&酒を楽しんだり、

もっとレベルアップする為に
ビジネスの勉強や実践に励んだり、

趣味のキックボクシングで、
身体を動かしたり、

ネットフリックスで面白いアニメや
海外ドラマを漁ったり・・

 

・・などなどの
「自分の好きな事だけ」
やって生きてる感じです。

 

楽しいです(笑)

 

 

このように僕が毎月の売上だけでなく、
時間にも余裕のあるライフスタイルを
送れている理由は至ってシンプルで、

「インターネットを使った集客・売上アップの方法を熟知しているから」

です。

 

18歳でWEBビジネスに参入し、
あれよあれよと弱冠20歳で独立・起業しました。

 

■当時の個人事業開業届出書(控え)

■当時の青色申告承認申請書(控え)

 

しかし、実は僕の最終学歴は「中卒」です。

持っている資格も「運転免許」のみ。

また、「特別な才能」があったわけでも、
「卓越したビジネスセンス」があったわけでもありません。

 

どう考えても「凡人以下」で何の取り柄もない人間でした。

 

そんな僕がなぜ、PC1台で起業し、
いち「コンサルタント」として、

決して少なくない「毎月の売上」と、
時間的な自由を手に入れる事ができたのか。

 

人に話すと大体びっくりされるので、
その具体的な「理由」と「経緯」を、
波乱万丈な僕の生い立ちと共にお伝えします。

 

 

17才の時に母親の遺書を見つけました”

 

ただただ衝撃の一言でした。

12才の時に両親が離婚し、自分と兄は母親の方に。

 

その時はまだ将来の事など何も考えておらず、
友達と遊ぶ事しか考えていないクソガキだったので、
高校には行かず中学を卒業してすぐに働きだしました。

 

もちろん中卒で何の資格もないわけですから、
まともな会社に就職できるはずもありません。

 

周りが高校で学生生活を満喫している中、
僕は直射日光の下で汗だくになりながら、
「足場鳶」や「建築板金工」と呼ばれる仕事をやっていました。

 

足場鳶や板金工をやっていた早川
(この時、仕事中に足場の上で寝るという偉業を成し遂げてハゲの職長がびっくりしてました。)

 

ただ、僕と一緒に母親についていった兄が、
全く働かずに家の金を「酒代」で食いつぶしていくので、
生活がどんどん苦しくなっていき、
母親が僕に内緒で借金をするようになりました。

 

しかし、例え借金でその場限りのお金は作れても、
その借金を返す「アテ」なんかあるはずがありません。

 

ですから、母親はそのストレスから酒に逃げ、
しまいにはアル中になってしまい、仕事を辞めました。

 

ここから僕の人生は崩れ始めたように思います。

 

“家族の中で働いているのが当時17歳の僕だけになりました。

 

毎日毎日、朝早くに起きて作業着に着替えている横で、
仕事をしていない母親と兄が朝っぱらから2人で酒を飲み、
酔っ払っているたびに頭がおかしくなりそうでした。

 

そんな生活が毎日続いていくわけですから、
僕自身もとうとう我慢できないようになり、

「そんなに飲みたいなら飲め。」

と母親の頭からビールをかけ、首をしめたこともあります。

 

我慢の限界がきて、
家中のテレビや窓ガラスを破壊した事もあります。

 

僕自身、それだけ「苦しかった」んですよね。

 

昔は、どちらかと言えばカッチリとした母でした。

 

僕がしょうもない事をして
人に迷惑をかけてしまった時も、

本気で何度も叱ってくれましたし、
人一倍責任感の強い子供思いの母親でした。

 

しかし、そんな母親が毎日酒に入り浸った結果、
昔の母親からは想像もできないくらい
「頭がおかしく」なってしまったんですよね。

 

借金まみれなのにも関わらず、
酒を飲まないと体が震える禁断症状が出るようになり、
1日中ご飯を食べずに安酒ばっかり飲んでるんです。

 

そんな生活を毎日送っている母親の身体は気付けば、

「頬と体はガリガリに痩せ細りお腹だけポッコリと膨れ出る栄養失調の体型」

になってしまっていました。

 

末期の頃には夜な夜なベランダから
下着姿で家を抜け出し、
警察に不審者扱いされて
帰ってきたりする事もありました。

 

その頃の母親はもう普段の会話も噛み合わず、
同じ事を何回も繰り返す「痴呆症」の症状さえ出ていて、
そこに昔の母親の姿はありませんでした。

 

 

そしてある日僕がリビングのこたつでくつろいでいると、
たまたまリビングのテーブル上に置いてあった、

“漫画と漫画の間に挟まっていた「1枚のメモ用紙」”

が目に入りました。

 

なんとなく目を通してみると・・・

 

母親の遺書でした。

 

そんな物騒なメモ用紙を、
家族団欒を描いたクッキングパパに挟むセンスに脱帽です。

 

その遺書に書かれてあったのは、

「僕達兄弟1人1人に向けられたメッセージ」

のようなもの。

 

僕の名前の下には、

「迷惑ばっかりかけてごめんね。」

と書かれていました。

 

その遺書を目にした途端もう何もかもが嫌になり、
とにかくこの家に居たくないと思いました。

 

そしてちょうどその頃、家の電気と水道が止まってしまい、
いよいよどうしようもなくなったので、
中学の時に離婚した父親の家に転がり込みました。

 

その時も母と兄は相変わらず「酒浸り」の生活を送り、
僕の辛い気持ちなんて理解してくれてなかったと思います。

 

おそらく、その電気代や水道代も、
また「借金」をして払ったんでしょう。

 

その転がり込んだ先の家で
じいちゃんとばあちゃんと父親は良くしてくれましたが、
あまり長い間迷惑はかけられないと思い、
1人で東京に行こうと決意しました。

 

なぜ東京に行こうと思ったのか?

 

それは、東京には経済的な成功を収めている人が多く、

「こんな僕でも東京に行けば何かキッカケを掴めるかもしれない」

と思ったからです(子供の考えです)。

 

この時に飛行機にすら1度も乗った事のない、
18歳のクソガキが、
「人生を変えるキッカケ」を求めて
東京へ旅立つ事を決意したのです。

 

東京での就職先が決まって東京へと旅立つ前日の夜。

 

酔っ払った父親が急に部屋に入ってきて、

「がんばれよ。」

とただ一言いって2万円くれたのが、
妙に嬉しかったのを覚えています。

 

今思えば、不器用な父親なりに、
酒の勢いで絞り出した言葉だったのだと思います。

 

そしていよいよ、その次の日に、
友達に見送ってもらいながら、
飛行機で東京に旅立ちました。

 

 

東京ではトラックを作る工場で働きました。

 

仕事はめちゃくちゃハードでしたが、
給料がそこそこ良かったので頑張ろうと思えました。

 

しかし・・・

 

一ヶ月も経たないうちに父親が亡くなったと電話がありました

 

工場での夜勤終わりの朝方、
布団の中で親戚からその電話を受け取りました。

 

眠気まなこで電話に出ると、

「あんた、○○(父親の名前)が今日亡くなったよ!!」

と大きな声で親戚のおばちゃんに言われ、
その時とっさに出た僕の最初の一言は「・・なんで?」でした。

 

「良いから今から出来るだけ早く帰っておいで!」

と言われ、そのままバタバタ身支度をして新幹線で帰りました。

 

夜勤明けでまともに寝てないにも関わらず、
動揺して東京から福岡に着くまでの約5時間、
一睡もできなかった事を覚えています。

 

小さい頃から僕の事を育ててくれた親が亡くなって、
グースカ寝れるほど僕の神経は図太くなかったみたいです。

 

火葬場で骨になった父親を見ても、
不思議と涙は流れませんでした。

 

というか、通夜や葬式の準備でバタバタしてて、
父親が死んだという「実感」が全然湧きませんでした。

 

自分の大事な人が亡くなった経験がある人は分かると思うんですが、
「人の死」っていうのは意外に実感が湧かないものです。

 

後から、ジワジワと湧いてくる場合がほとんどだと思います。

 

父親が亡くなった当時、僕はまだ18歳でした。

 

18歳と言えば、
普通は高校をやっと卒業したくらいの歳です。

 

でも、そんな周りの同級生達と自分を比べると、
僕の置かれた環境が「劣悪」なのは間違いありません。

 

だって、僕には頼れる家族もいなければ、
学歴や資格もないのでまともな就職先もないですし、
その日のご飯代を稼ぐのがやっとの状態でしたから。

 

ですから、両親がいて家族円満な同級生を見ていると、
「嫉妬」に近い感情を抱く事もありましたし、

「俺の人生ハードモードだな(苦笑)」

と、半ば諦め気味の人生を過ごしていました。

 

父親の死をしばらく引きずってしまい、
そんな生活をダラダラと送っていましたが、
父親が最後に言ってくれた「がんばれよ。」という言葉を思い出すと、
前向きに「がんばろう。」と思う事ができました。

 

 

しかし、学歴も資格もスキルも経験も資金も「0」、
いや、むしろ「マイナス」の僕みたいなボンクラが、
このまま肉体労働を続けても先が無いことには気づいていました。

 

大体、僕の周りの大人達は肉体労働をしながら、
パチンコに明け暮れ、キャバクラに通い詰め、
そのせいで「借金まみれ」の人達ばっかりだったんです。

 

なので、僕はそんな大人達を見ながら、

「将来、こんな風には絶対になりたくねーな。」

と強く思っていました。

 

ただその反面、

「今のままだったら、この人達みたいな大人になるのも時間の問題。」

だという事も分かっていました。

 

だからお金の勉強を始めました。

 

「とにかくお金を稼ぎたい。」

だからまずお金の勉強を始める事にしました。

 

FP(ファイナンシャルプランナー)1級という、
お金の資格をユー●ャンで受講し、
仕事終わりにコツコツ勉強してました。

 

 

ちなみに半年以上勉強して試験結果は「不合格」でした。

 

筆記試験は合格して、
実技試験をあと数点で逃し不合格。

 

試験会場にはスーツにメガネ姿の
真面目そうな人達がわんさかいて、
そのうち8割以上が「2級の試験会場」に行く中、

ストリートファッションに身を包んだガキが突如会場に現れて、
ズカズカと1級の試験会場に向かってたので、
「あいつ会場間違えてんじゃね?」と思われたに違いありません。

 

不合格にはなりましたが、
ぶっちゃけもう1回挑戦すれば受かる自信はありました。

 

・・が、

「結局、この資格を取っても『自分でお金を稼ぐ』事には直結しない」
「だったらもう最初からビジネスや起業を学んだ方が早いんじゃ・・?」

と感じてたので再挑戦はしませんでした。

 

そんな経緯で弱冠18歳のクソガキが、
「起業」や「ビジネス」に興味を抱く事になります。

 

同時期に起業で成功したお金持ちを、
テレビで見かけた事も大きく影響しています。

 

それからというもの、
毎日毎日スマホで「起業」とか「副業」とか、
そんな事ばっかり調べまくってましたね。

 

マネーの虎という起業番組もYouTubeで見漁ってました。

 

抱き枕を抱えたオタクを見る、
ドライアイスもびっくりの吉田栄作の冷たい顔は、
今でも忘れられません。

 

 

そして、起業やビジネスを調べ続けていくうちに、
インターネットを活用したビジネスの存在を知り、
気付けばそこにロマンと可能性を感じるようになっていました。

 

最初にアフィリエイトを始めました。

 

その時出会ったのが、WEBで商品を紹介して、
商品が売れたら広告収入が入る
「アフィリエイト」というビジネスでした。

 

当時の何もなかった僕にとって、
個人でもノーリスクかつ、

パソコン1つで実践できて、
学歴も資格もいらないという、
最高のビジネスモデルでした。

 

しかしアフィリエイトの存在を知った後、
色々と勉強して、
様々な本やネットから知識を取り入れまくり、

 

時には教材やコンサルを買いながら、
挑戦したのはいいんですが・・

 

残念な事に最初はほぼ全部失敗してきました(苦笑)

 

恥ずかしい事に、
健康食品を売る1つのページを
丸1日かけて作り込み、

そこに「数万円の広告費」を投じて、
大量のアクセスを流し込んだ時も、

1つ足りとも商品が売れる事は
ありませんでした。

 

成約率、驚異の「0%」です(笑)

 

笑えますよね(笑)

 

いや、当時の僕からすればなけなしの金を投じた上、
余裕で赤字だったので笑えなかったんですが・・

 

・・ただ。

 

実はこの失敗のなかで学んだ、

「ある1つの教訓」

が、その後、僕を独立に導き、
今のコンサルタントとしての、
集客実績をも支えてくれる事になります。

 

その「1つの教訓」というのが、

 

人は言葉(文章)でモノを買う

 

という事です。

 

当時の僕は驚異の成約率0%を叩き出して、

「これだけアクセス来てるのになんで売れないんだろう?」

と考えた時に

「そのページに書いてある文章が原因だ」

と気づきました。

 

そこから
人に商品を売るための文章術、
コピーライティングに目を向け、

 

行動心理学や脳科学の観点から、
「科学的」に反応を得ていく
コピー(文章)をひたすらに学び、
それをアフィリエイトに応用していきました。

 

するとそこから、
これまで1つも売れなかったのに、
ぽつぽつと商品が
売れるようになりました。

 

また、ブログを書いても、
開設から1ヶ月ちょいで、
約3万円ほどの商品を売って
収益化できたりして、

 

月に売れる商品が
1個、3個、10個・・
とどんどん増えて、

 

気付けば独立できるほどの
報酬を得る事に成功しました。

 

▼当時の報酬の一部▼

そこから、そこで培った知識やスキルを活かし、

 

「コンサルタント」としての活動を開始しました。

 

ブログやメルマガ、SNSを使って、
情報発信を始めたんですが、

そこでも追求したスキルのおかげで、
下記のような結果を出すことができたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶっちゃけ、10代の頃はめちゃくちゃ辛かったですが、
いちコンサルタントとして、
力ずくの叩き上げで成り上がる事に成功しました。

 

そんな「経験」を経て今は・・

 

コーチ・コンサルタント・カウンセラー・
セラピスト・講師・発信者・・といった方への、
個別コンサル&プロデュースをメインに行ってます。

 

ビジネスの売上が安定している今では東京を離れ、
実家でばあちゃんと2人暮らし中。

 

母親も今では無事アル中を克服し、
まともに会話できるようになったし、
たまに会うとお小遣いをくれるようになりました。

(亡くなった父親は帰ってこないけど、
あれから随分成長した今、
できる事なら2人で酒でも飲んで語りたいです。)

 

そして冒頭でも触れたように、
「自分の好きな事ばかり」やって生きてます。

 

正直、起業する前は辛かったです。

 

母親の借金から全てが崩れていき、
「お金がない」というだけで、
ここまで苦しく辛い思いをするんだなと、
子供ながらに痛感させられました。

 

・・でも。

 

そんな経験のおかげで、
人よりお金について考えるようになりました。

 

起業という選択肢に出会えて、
前向きにチャレンジする事ができました。

 

そして「お金」にも「時間」にも余裕があって、
「場所」にも一切縛られない人生を掴み取る事ができました。

 

おかげで何かあった時に、
大事な家族や友人も助けてあげられます。

 

全てが「幸せな今」に繋がっているわけです。

 

だからこそ、今では数々の失敗も辛かった事も全て、
心の底から「良い経験だったな。」と思えるのです・・。

 

 

・・・ここまでは全て僕の話です。

 

もちろん、ここで話したのは僕の人生の
ごく一部で省略したところも多々あります。

 

しかし、全て僕の経験から語っている実話で、
完全なる「ノンフィクション」でここまで話してきました。

 

「ただのキャラ設定で大げさに話を作ってるんだろ?」

と思われるかもしれません。

 

ただ、ハッキリ言って、
コンサルタントとして活動していく上で、
こんな話をする事に、
デメリットはあってもメリットはありません。

 

なぜなら、

「17歳で億を稼ぎ出したマーケティングのプロ」

みたいな天才タイプのカリスマキャラの方が、
集客していく上では圧倒的に有利だし、
(実際にそういったキャラを「演出」してる人も多いです。)

 

何よりこんなド底辺の僕の話を赤裸々に語る事で、

「このページを読んでくれているあなたに嫌われてしまう可能性」

も少なからずあるからです。

 

なので基本、僕のこの生い立ちやストーリーは、
心を開いている友達や親戚などしか知りません。

 

「じゃあ、なぜそんな話をここで公開しているのか?」

と言うと、

「このページを読んでくれているあなたに何かしらの勇気を与えられれば」

と思い、ここまで語らせていただきました。

 

- あなたに「知識」と「可能性」を -

 

お先真っ暗な人生を送ってた僕でも、
「知識」と「スキル」を身につけた事によって、

ブログ・SNSの更新0で月商470万円達成したり、
講座の販売初日にメール1通で300万売ったり、
個別コンサルで日収100万円を達成する事ができました。

 

何よりこんな僕を信頼してくれて、
頼ってくれるクライアントさんが、
いてくれる事がありがたいです。

 

多くの方が成果報告をガンガンくれて、
一緒に学んで、稼いで、遊んで、騒いで・・
おかげさまでめちゃくちゃ楽しくやれてます。

 

 

今このページを読んでくれているあなたが、
どんな状況なのかはわかりません。

 

ただ、ネットで人を集めて商品を売ることなんて、
実業(リアルビジネス)よりはるかに簡単で、
全く難しい事ではありません。

 

抑えるべきポイントさえ抑えれば、
確実に売れるし集客は成功できます。

月商100万〜400万くらいであれば、
才能やセンスがなくても達成する事は可能です。

 

高学歴エリートでも普通の人生を歩んできた人でもなく、
ド底辺から腕っぷし1つで成り上がった僕だからこそ、

心の底からそう「断言」する事ができます。

 

このブログやメルマガ、YouTubeなどのメディアでは、
そんな僕だからこそ発信できる、
具体的なノウハウや戦略、事例や経験などなどを、
惜しむ事なく発信しています。

 

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僕みたいに「全てが自由」なので、
そこから好きな事ばっかりやって、
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特に僕の公式メルマガの方では、

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ブログでは公開していない情報や案内が「てんこ盛り」ですので。

 

“最後に

 

さて、ここまで長々と語ってきましたが、
このページであなたに1mmでも、
可能性を与えられたのであれば大変嬉しく思います。

 

ここまで読んでくれたあなたなら分かるでしょうが、
僕は、学歴もなければ就職に有利な資格も経験もない。

 

新たなビジネスを立ち上げる資金もない(むしろマイナス)。
そんな「どうしようもない状態」からスタートしています。

 

しかし、ビジネスはそんなの関係なく、

「誰でも平等に成功できるチャンスと可能性」

があるんです。

 

これは、僕自信が身をもって証明しました。

 

もちろん、僕は「人生はお金が全て」だとか思ってませんし、
この世界にはお金より大事なものがたくさんあるという事も、
身を以て理解できているつもりです。

 

でも、お金があって困る事はないだろうし、
お金があれば「人生の選択肢が広がる」事も1つの事実です。

 

ですから、ぜひそのための「手段」や「術(すべ)」を、
僕のブログやメルマガで学び、
あなたの人生に活かしてほしいと思います。

 

そして、明日の事なんて一切気にせず、
一緒に遊んで騒げる仲間になれたら最高ですね。

 

ではでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

直接的なご相談やお問い合わせも大歓迎ですので、
その際は気軽に下記からご連絡頂ければと思います。

 

→お問い合わせや相談は気軽にこちらから。

 

それでは!

 

 

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